鏡の向こうの自分たち

高校生くらいの頃だったろうか、女装とかではなく化粧をしてポートレート風に写真を撮ったことがあったんだけれど、それを見て母が
「ん~、、まだ男やな、、」
と真顔で感想を述べたことを思い出すことがある。よくよく今思えばいったんどんな状況?って思うんだけれど、どういう思いで母がそう云ったのか、そもそもそういう子だとでも思っていたのか、ちょっと変わった子だと思われていたことは確かだけれど、今となっては確かめようがない。

そこにはきっとナルキッソスな自分が居たはずで、鏡の向こうのもう一つの自分をどういう思いで見つめていたのか、眺める程に募るコンプレックスはやがてこの世界へ誘うきっかけとなったのは確かなことかもしれない。私はまだ性同一性障害とかではないから耐え難い違和感とまでは感じないけれど、この世界の者たちは少なからず何やらむず痒い違和感っていうのは生涯にわたって抱えているのだと思う。

そのむず痒さをどう解消するかによっては色々とややこしいことにもなったりするんだろうけれど、そもそもゲイ、ノンケにかかわらず単なる性的嗜好を味噌糞的に同じ土俵で論議することこそが大きな間違いだと思う。まずは鏡の向こうの色々な自分を認めてあげることから始めるのが肝要なんじゃないかなんて、ふと考えたりする秋の夜長。