浮かぶ遺影

メール受信のアラートが便利なので、PCを立ち上げる度にメッセンジャーにもログオンする。その度に更新情報として亡くなった彼の画像(今や遺影)が浮かび上がる。一瞬ちょっと驚いたりもするけれど、考えてみればいつまでも今のままの姿をこうして遺すのも有りかも知れないなどと不埒なことを考えながらも、複雑な気分ではある。
私自身は、カミングアウトしているごく親しいノンケの友人達から、
「まだ、若い男の子のケツ追っかけてるのか?」
とからかわれる程度の脳天気だけれど、彼のように真正面からセクシャルマイノリティーに対峙している人にとっては、悩ましい事柄も多かったのかも知れない。もっとも逆に多くの仲間に囲まれて救いもあったのだろうけれど、結局自らを救う手だてが自死しかなかったというのが何とも悔しい。
殊更マイノリティーに拘るつもりはない。私自身この言葉に非常な違和感を覚えたりするし、言葉ばかりが先行して、まるで祭りの騒ぎだけに乗っかってる馬鹿だっているのも事実。真実というのはきっと万人受けするようなところにはない。無いからと言って安易な言葉に置き換えれば愚行が流行る。いつの世もまっとうに生きようとする者にとっては辛いものかも知れぬ。
あぁ、なんとやりきれぬ夜だ。
君が憐れだよ