自分の終わりも考える

時代の流れを感じながらふと自分の終わりの事も考える。
命の終わりもさして遠い将来の事でもない現実だろうけれど
仕事の終わりの事とか、、

客先でたまに、後に続く人を育てないんですか?なんてことを聞かれるのだけれど
仕事の内容なんていくらかのマニュアルと全体のルーチンで誰にでも収める事は出来るんだと思う。
ただそれがいつも順当に進まないのが世の常で、様々なトラブルやイレギュラーが多発する。

そういう時の私は企業との35年以上の付き合いの中で築いてきた老練な手管で
トラブルによって出来た穴を埋めるまでのタイムラグというか苛立ちを
なだめすかして綺麗に収まるまでの間相手の心をもケアするのが仕事で、
それは仕事と言うよりはむしろ長年の人付き合いの話。若い彼等にいま求めても無理だよ。

いまの若い子たちはクールで頭も良い。
ただその妙に高いプライドのせいか、トラブル発生の折マニュアルに沿って
役所仕事的に取り繕おうとする。それが余計に顧客を激怒させ更なるトラブルを招く。

先般の時事で忖度という物に悪いイメージが付いたけれど
実は非常に大切な事だと思う。相手をおもんばかる心がなければ仕事は成り立たない。
誰でも失敗は恐れるものだけれど、恐れて何もしないほど無駄な時間はない。
すんません!の何百回も言っているうちに人は何かを悟り
そうやって仕事を覚えていくんだと思うよ。

別に笑って誤魔化してお客をたぶらかしているわけではないけれど
私の神通力も後何年通じるのかなぁ、なんて思うのですよ。