血の一滴

若い頃、師事しようとしていた方が、最近亡くなっていたことを、何気にとあることの検索中に知った。「お前は自分のことを天才だと思うか?」って私に聞いたあの人だ。
関連する記事を読んでいると、本人が豪語したとおり、片田舎に仲間を集めてユートピアを作り、創作活動を続け、紛れもなくその道の第一人者として活躍し、晩年病に冒されつつも演奏家達を支え、惜しまれつつこの世を去られたとか…
来る者は拒まず、去る者は追わずな人だったから、お馬鹿な私が門を叩いたときも、
「こいつはバカだけども、まだ真っ白だから面白いかもしれん…」
って、他のお弟子さん達に紹介されて、かなり本気になっておられた。ただ私は意気地がなかったから、自分の才能に疑問を持って、尻尾を巻いたんだ。
初めて逢ったとき、師匠はこんな話をされた。
「欧米と日本じゃ音のとらえ方も違うし、ニュアンスも異なる。けどな?欧米の音楽をやろうとする我々は、自らの魂に、その大陸の血の一滴を得る努力が必要なんだよ。」
”でも、それって努力して得ることの出来るようなもの?それが出来る人を天才って言うんじゃ…?”
そんなことを考えながら、すごすごと引き下がった凡庸な意気地無しだったんですよ。師匠ごめんなさい。
私はやはり、シンコペーションのリズムを刻めば、阿波踊りになっちゃう日本人なんですよ。爺様は子供の頃、義太夫の旅芸人だったっていうし、新内流しをいなせだと思って、いつかやってみたいなんて思うんだもの。んな血はきっと、大陸となんて混ざり合いはしないんだ。なんて言い訳も考えたけれど、本当は何事に付け、熱いうちに鍛え上げれる勢いが一番なのさ。そう、大切なことだよ、これは。